マイナス美人の主張
わたしは入れこみ型人間で、自分が使って「いい!」と思ったものは、必ずともだちにも薦めます。
へええ、といって試してくれる人が多いのは、こんなわたしのともだちでいてくれる人が優しいからに他ならないのですが、なかには、優しいのに非常に頑固、という人もいます。
なにが頑固といって、ネガティヴ方向に頑固なのです。
たとえば口紅のこんな色もあなたには似合うんじゃない、とか、荒れるのが気になるならこのグロスはトリートメント成分がたっぷりでいいわよ、とか薦めるわけですね、わたしは。
そうすると、その頑固派は、自分はどんな色をつけても似合わない、顔色が変だから、といったり、グロスでもリップクリームでもぜんぜんだめなのすぐに荒れちゃって、といったりするわけです。
変な顔色なんてものはないし、似合う口紅の色は誰にも必ずある。
だからこのグロスはリップクリーム以上に効いて夜にはつるつるになっている。
と、わたしは説明を繰り返すのですが、けっきょく、話は通じていないんですね。
自分には似合う口紅がない、なにをつけても唇はいつもガサガサ、というところにどうしても落ち着きたいわけです。
対策を示しているのに、悩みつづける自分でいたい。
口紅一つで顔色を明るく見せることも、唇を守りながらつやつやさせることも、お望み次第のお安い御用なのに、それを使おうとしない。
わたしから見ると、それは、美人で自信があるのと変わらないように思えます。
つまり、そんなものを使わなくてもわたしは綺麗よ、と、そんなもの使ってもわたしはブスなのよ、とは、絶対値として変わらないのではないかと。
ネガティヴなことに自信がある、というのは不思議な心の動きです。
わたしも他の面ではそういうものを持っているるのだと思いますが、メイクに関してはまるでゼロです。
少しでも顔色のよく見える口紅をといつも探しているし、グロスはトリートメント効果があるものを使っています。
なぜならば、外見は自分だけのものではないと考えているからです。
外見に限らず、体自体、といってもいいでしょう。
いくつになっても、というのは、番長禁句の一つですが、ここはしかたなく。
年齢に関わらず、自分というものの半分は大切な人のためにあると思います。
綺麗にしたり、健康に保ったり、すっきりとさせたりする工夫と努力は、愛の一環です。
唇ガサガサを放っておくと、半分の「ガサ」を大切な人にあげることになる。
それはできないことではありませんか。
「他の人には有効でも、自分には効かないんだ」という思い込みは手放しましょう。
それは自分をマイナスに特別扱いすることです。
「他の人に有効なら、自分も試してみよう」
素直さは、自分と他の人とを同じレベルで考える柔軟さでもあります。
化粧品会社のうたい文句に騙されましょうといっているのではなくて、いまの化粧品にはほんとうに効き目のあるものがたくさんあるので、自分のできる範囲で試したり、人の話を聞いたりすることは、確実に美しさにつながります。
心を柔らかくもって、新しい口紅をひとぬり。
ぜひに、お願いします。